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Interframe: Why Today Connects to Today

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Note

今日、ふと考えた。

「なぜ明日がやってくるのか」

そう思っていた問いは、話していくうちに少しずつ形を変えていった。

本当に考えていたのは、明日ではなかった。

今日と今日は、なぜつながるのか。

明日になれば、明日もまた「今日」と呼ばれる。

つまり私が見ていたのは、未来ではなく、連続する現在だった。

映画のモンタージュについて考えた。

意味は一つのカットの中にあるのではなく、カットとカットの「あいだ」に生まれる。

では、ワンカット映画はどうなるのだろう。

編集がなくても、視線は動き、人は出会い、離れ、光は変わり、時間は流れる。

カットは切れていなくても、関係は更新され続けている。

もしかすると、モンタージュとは編集技法ではなく、「関係が変わること」そのものなのかもしれない。

記憶についても同じことを知った。

思い出は、保存されたまま取り出されるものではないらしい。

思い出すたびに、現在の自分と重なり、少しずつ書き換えられ、もう一度保存される。

記憶は保存ではなく、再編集だった。

クロスフェードのように。

私は以前から、世界は関係によって形作られているのではないかと考えてきた。

個は、他者や外部との境界によって初めて個として立ち現れる。

存在とは、固定された点ではなく、結ばれたり、ほどけたりする関係の中にある。

そして今日、その考えはもう一歩進んだ。

私は、意味が更新される瞬間に惹かれているのかもしれない。

静けさも、止まっている状態ではない。

静かな時間と静かな時間が重なり合い、わずかな変化を含みながら続いていく。

静寂は停止ではなく、連続する変化なのだと思う。

今日、一つの言葉が浮かんだ。

Interframe

映画ではフレームとフレームのあいだを扱う言葉であり、映像圧縮では、変化だけを記録する技術でもある。

私は写真を撮っているようで、写真と写真の差分を見ている。

文章を書いているようで、言葉と言葉のあいだに立ち上がる意味を見ている。

作品をつくっているようで、人と世界が少しだけ更新される瞬間を設計しようとしている。

もしかすると、私がずっと見つめていたのは、存在そのものではなく、世界が連続し続ける仕組みだったのかもしれない。

今日の問いは、まだ答えにはなっていない。

けれど、自分が何を見つめ続けているのか、その輪郭は少しだけ鮮明になった気がした。

参考

Goong.com – 新世代の辞書:interframe とは 日本語訳と意味

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